ビッグデータ、IoT、人工知能、ロボットなど、これらのキーワードを聞かない日がないくらい時代は大きく変わって来ているなと感じます。
こういった技術の進化に伴って、私たちの生き方は大きく変わらざるを得ないと思っているのですが、今回は”情報知識の捉え方”について考えて見たいと思います。
単に暗記すること自体に価値はなくなる
一昔前までは、図書館などに行って書籍を読み込んだり、新聞や論文などから情報を収集したりというのが当たり前の時代でした。
しかし、今の時代でこそ、インターネットで検索すれば大抵のことは調べることができます。
Apple、Amazon、Googleなどの音声認識も精度があがり、より早くより楽に情報にアクセスできるようになってきました。
自分の脳の中で暗記している情報知識よりもはるかに多く正確な情報がインターネットの先に転がっているわけです。
むしろ、見方を変えればインターネット上で調べる方が正確な情報にたどり着けると言っても過言ではないかもしれません。
つまり、暗記すること自体の労力をそこまでかけなくても良いと捉えることもできませんか。
私自身はお勉強みたいなものについて積極的に暗記しようとする姿勢は今はほぼ皆無です。
(これはこれでどうかと思いますが。笑)
思い返せば昔から暗記系の科目(世界史や日本史)が特に嫌いだったわけで、当時から覚えても将来使わないという諦めがあったのでしょうね。
学校教育ではまだまだ暗記できた人が点数を多く取れる仕組みになっているので、いきなり暗記しないというわけにはいかないかもしれませんが、
社会人になるとテストというもので人を図ること自体ナンセンスなことだと思っています。
情報知識から気づきを得ることが重要
私は、情報知識に対して、自分の人生とどう繋がるのかという観点でものごをとよく観ます。
むしろこれからの時代においては、益々重要になってくる能力だと思っています。
デジタル化された情報データは無限に溢れ、何が正しくて何が正しくないかの判断が本当に難しい時代です。
情報に踊らされず、自分は情報から何を得るのか?
そのポイントが重要ですね。
社会人になると特に、自ら考え、自ら気づき、それらをアウトプットできることの方がよっぽど求められるスキルですよね。
だからこそ、私は、自分の中から出て来る気づきなどはむしろ積極的にメモするようにしています。
例えば、
「以前にもこういうニュースがあったけど、今の世の中のトレンドはこうなってるのかな?」
「この記事を書いた人はどういう背景や思いで書いているのかな?」
「自分はこういう分野に関心があるんだ」
「批判的、肯定的になる時の自分のクセ」
などでしょうか。
情報はあくまで情報。
その情報も誰かの勝手な解釈や思い込みの可能性がほとんどです。
要は自分はどう思うのか?
その自分の中から出て来る気づき(アウェアネス)こそ、重要にしていくべきポイントではないでしょうか。
メタな観点を自分の中で持ちながら相手の観点の裏まで推測できるようになれば、世の中の情報との出会い方から生き方まで変わって来るのかもしれませんね。